テレマークスキー前転日記~ケガに注意!!

ヘタレスキー部も還暦.部員1~2人 @札幌

医学部・看護系を目指す親子のために その2医学部を目指す子の高校受験in北海道

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いまでも張り出すんですね。


2019年3月に受験生の親生活が終わりました。
わが家には子どもが3人いて、最初は全員が医療系を目指しました。夫婦ともにまったく知識も経験のない進路で、その都度調べたりしながら、何とか全員を教育しました(まだ残っているけど)。

3人はそれぞれ受験に失敗しています。
第1子は高校受験に失敗。私立高校に通い、本人いわく数2が分からず医療系を断念。大学は本州に行きたいようでしたが、あまり勉強熱心じゃない子を送り出すほどゆとりもやさしさもないので、国公立を受けて、落ちて地元の私立大学に進み地元に就職しました。
第2子は安全に受かる高校を選び、卒業後の進路は国公立の専門学校に落ちて私立に通い、この春無事に国家試験に合格して就職で北海道を離れました。
第3子はランクを落として公立高校に入り、二浪して初志貫徹の医学部に入り、北海道を離れました。

医学部受験を何も知らない親子が合格するまで

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医学部進学について聞かれることはあまりありませんが、医学部受験の情報は限られているので、現役含め3回の受験で何があったか、少し書いてみたいと思います。
そもそも医学部に入学する子の、5~7割が医師の子弟だそうです。世界がクローズで、だから医療関係者以外には情報が足りないのです。子どもによると、両親が医師を含む医療関係者じゃない、大学で理系を選択していない、なんて家庭環境の子は、かなり特殊だそう。
そうだよね。うちは子どもに一度も「医師になってほしい」と勧めたことはない。むしろ、親は「医学部にこだわらず、受かるならどこでもよくね」という考えでした。

その考えをいさめてくれたのは、知人たちでした。
「医学部を受験できるだけでもすごいんだ」
「がんばらせろ。受かってしまえばこっちのものだ」
ボクはその意味が、二浪の秋まで分かりませんでした。

第3子は子どものころから医師・医学研究者を志望していました。小さいころはガンバレ、くらいのものですが、高校受験になると少し重くなってきます。

そもそも中学生活をうまくやれなかった。そう嫁は振り返ります。
小学校だって小学5年生のときに学校にライターを持っていったとかで反省の五分刈りになり、6年で担任が替わってようやくクラスがまとまったということがありました。小学校高学年になると、スキルの低い教師には手に負えない子が出てきます。
また、
『みんなで仲良く』の小学校から
『高校受験・競争』の中学校へ。
その劇的変化が異常だと自分は以前から思っていますが、中学ではそんなこともあんなこともうまくいかない。部活をやっていましたが、友だち関係もうまくいかない、教師との関係もうまくいかない。
親に愚痴れば、親(ボクらのことです)は『立派な先生ばかりじゃないし、オマエのことをみんなが理解してくれるわけでもない』と教えるわけですから、教師不信が増幅する。そんな悪いスパイラルだったようです。
そういう態度もひっくるめて大人の対応ができないわけです。まあ大人じゃないですからね。中学・高校は子どもではないけど大人でもない。難しい時期です。

トップ校がすべてではない.難しい高校選び

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公立小中学校で「優秀」と見られている子のなかには、うちの子のように繊細で自分を曲げることが苦手な子がいるはずです。
そういう子の中学・高校時代をうまく導いてくれる学校を選ぶのは、親の責任ですね。グレるとめんどうだし、進路をふさいでしまいかねません。実際にそういう例も見てきました。この話が、次の話につながります。


「医学部を目指すなら、まず医学部を目指す子がたくさんいるトップ校に入学させる必要がある」

dot.asahi.com

高校受験の塾ではそんな話を聞く機会が多いと思います。
この考えはもちろん正しいと思いますし、そもそも公立ではなく、中学から私立に入れる家庭もあるでしょう。が、ボクはこの大テーマよりも優先することがありました。それは、
「高校入試の失敗は、してはいけない」ということです。

じつはボクも、第1子も、高校受験に失敗しました。高校受験に失敗すると、そのことを1~2年でしっかり受けとめることができない。15,16歳の子どもには大きすぎる挫折なのです。もちろんそうではなく、ちゃんと受けとめられる子もいますが、わが家のように幼稚な子どもはNG。
だから、札幌の東西南北、いわゆるトップ校を受けさせませんでした。
高校入試の点数はトップ校でも合格するだけ取ったようですが、そこまでの内申が悪い。模試でとれないのは、出遅れ、幼稚さの表れ。ただ内申が悪い理由は勉強だけなく、これまで書いてきた教員との軋轢もあったのでしょう。末っ子はトップ校の次のランクの高校に入り、そこからがんばる道を、なかば強制的に選ばせました。子どもは相当反発しましたが。

高校受験は親の受験です。受けるのは子どもでも、どこを受けるかは親が決めるべきです。これが、3人育てた父の意見です。特にうちの子たちは幼稚でしたから。

第3子は自分の思い通りにならなかったことにものすごく反発しましたが、運良く、入った高校との相性がとてもよく、高校でいろんなことを学び、身につけました。
難しかった小学校高学年から中学時代、そして高校選びまで、精神面のケアをしたのは嫁でした。男の子はけっこうたいへんです。

高校受験を考える.札幌のトップ校について

札幌では、東西南北をトップ校として扱いますが、本当は違います。トップ校は札幌南と札幌北だけ。札幌南は、東大合格者数、医学科合格者数ともに公立高校として全国有数の、紛れもないトップ校です。
序列をつければ
Sランク 札幌南・札幌北
Aランク 札幌西・札幌東
準Aランク 札幌旭丘
となります。
公立高校は、ここまでに入っていれば医学部進学は大丈夫。
その下が無理という意味ではありません。トップ高と言っても違います、という話です。

高校2年の冬に自転車競技を始める!!

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1月に苫小牧まで試走に連れて行きましたよ


高2の冬、確か12月の初旬。2人で初スキーに行った帰りに「自転車競技でインターハイを目指したい」と言い出したのです。
それまではどんな投げかけにも常に即決してきたボクも、さすがに「答えは2~3日待ってくれ」と返事したのです。

いろいろ考えました。
Q:自転車競技を禁止したら勉強するか?
A:たぶんしない

Q:自転車競技をやらせたら合格するか
A:たぶんしない

Q:どっちの選択が、合格に近いか
A:好きにさせて、自分の行動に責任を持つこと。

ということで、数日後、自転車競技を始めることを認めました。
やらせるしか方法はないと思いました。
1つだけ条件をつけました。
「今まで通り文武両道で進んでほしいが、受験まで1年しかない。運動のほうは自転車だけにしろ。スキーもバドミントンも捨てろ」と。
子どもはそれを承諾しました。

そして、自転車やさんに行ったわけです。
ビックリするほど高いわ。自転車20万円は覚悟していたけれど、ペダル、シューズ、ヘルメット、その他・・・
正直、支払いのメドもない買い物でした。それまでに第1子の教育費がかかっていたし、第2子の進学を控えていたのです。


シーズン開幕の大会(2016年5月、札幌近郊)


高校3年になり、多くの部活は6月ころをもって終了します。しかし、自転車はインターハイ予選が比較的遅く、なんだかんだで夏休み前まで、勉強しながら自転車もやり続ける生活になりました。

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高3の大会

第2子は国公立の専門学校が不合格となり、かなりお高い私立の専門学校に通い始めていました。経済的に非常につらい時期でした。

第3子はというと、完全に医学部受験をなめていました。「東北大学を目指す」と発言し、親・兄弟・学校の担任、お世話になった小児科医のN先生に「そのうち現実が分かる」とあきれられる始末。本格的に模試を受け始めて、あまりにも成績が悪く、それでも本人は「S台模試はA,B判定なんか簡単にでない」と言い放っていました。
ぼくも1浪しましたからね、模試の見方ぐらいは分かりますよ。まったく見込みがないことぐらい、わかりますよ。

とは言え、地元の旧帝大の理系ならB判定くらいでているのです。だから、ひょっとしたら、とか勘違いしてしまいます。でもやはり国公立の医学部は難しい。
現役時は予備校も行きませんでした。みんなが通い始める時期に出遅れたと言っていました・・。

 

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 そして、現役時に前期で受けたのが今通っている大学。感触はよかったと言いますが、そもそもセンターでボーダーをとれていないし、でもまさかはあるかなと思っていましたが、まさかという坂はありませんでした。
後期は旭川方面の*川医科大学を受験。ここの後期は旧帝大並みに難しいので、受かる予感もしませんでした。

そして浪人。S台予備校生になったのです。

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小学校時代の仲良し3人


ちなみに、小学校の幼なじみで、北海道の公立高校でトップ校に入り、現役で地元の旧帝大医学部に入学した子がいます。
ボクは彼らが小6のときにスキーに連れて行って、その子のことをよく知っています。女房も何度かスキーに連れて行っています。
運動能力バッチリ、頭脳明晰、他人の気持ちを思いやる配慮のできる、とても素晴らしい子です。三拍子そろったこういう子がいるんだなと思いました。

また、小学校のころ通っていたスキースクールには仲のいいスキー仲間が4人いて、そのうち3人が医学部に進んだそうです。仲良しは1級下の子たちで、うちの子も含め3人が今年の合格。つまり1浪2人、2浪1人だそうです。

高校の仲のいい同級生や後輩で医学部進学者はいないようです。
小学校の友だちに同じ進路を取った子が何人もいたことは、偶然なのかどうか分かりません。

小中学校の塾と、高校時代の予備校について

第1子が小学校のときに算数が苦手とわかり、公文に入れました。
それ以降、けっきょく3人とも公文に通い、2番目が小学校時代に脱落しましたが上の子は高校まで、下の子は中学いっぱい通いました。

 

maruhenyasu.hatenablog.com

 それ以外は一切やらせておりません。お金もそんなにありませんし。

医学部生は中学3年から塾に通いはじめました。行けばぐんぐん伸び出しましたが、前にも書いたように中2から中3の秋までの成績が足を引っ張り、内申が伸びませんでした。
高校入試はトップ校の合格に必要な、確か9割くらいの得点を取ったはずです。
この高校受験塾は合っていたようで、高校に入っても2ヵ月ほど「高校部」に通いました。ただ、自分の高校と授業進度が合わず辞めてしまいます。これについては珍しく父である自分は辞めることに反対でした。

というわけで、高校時代は最初の2ヵ月以外、まったく塾や予備校に通いませんでした。合格したからいいものの、今年落ちていたら親の取り組みが悪いとまわりから相当言われたと思います。

でもね、本人がやる気にならない限り、何をやらせてもダメなんです。特に第3子はそういうタイプの子でした。
それでも塾通いさせるのは、「何とかがんばってほしい」という親の祈りや、第2子のように「塾や予備校にぶち込んで無理やり勉強させる」パターンですね。

というわけで、うちの医学部生は、小学時代にゼロ、中学時代に1年、高校時代に2ヶ月しか塾通い・予備校通いしなかった子です。もちろん家庭教師もなし。地頭がいい(この言葉嫌いだけど)わけではないのに。

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2浪の11月末に初めて予備校に行ってレクチャーを受けた30数年前の自分の時代とのギャップを感じた

ただし、予備校には1年で100万円オーバーのお金を2年も納めることになりました。(T-T)